タレント、女優、ファッションモデルと多方面に渡って活躍している山之内すずさん。
元気で明るいイメージの山之内すずさんですが、実は生い立ちが複雑でした。
そこで今回は、こちらをお届けしていきたいと思います。
- 山之内すずの生い立ちが壮絶だった!
- 衝撃過ぎるエピソード3選!
早速、本題に入っていきましょう!
山之内すずの生い立ちが壮絶だった!
明るく元気なイメージの山之内すずさんですが、生い立ちが壮絶で家庭環境がやや複雑でした。
2021年8月18日放送の『突然占ってもいいですか?』の番組の中や、2023年12月3日に放送された『人生を変えた言葉』に出演の際に、家庭や学生時代のお話をしています。
「ちょっとずつ心がしんどくなって。学校とかでも友達に自分の家庭環境のことを話せなくて。学校も休みがちになって。保健室に行ったりだとか」と学生時代の辛い過去を明かした。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/d3f401437ba309191961658cd3ca3f065e7a6171
家庭環境に悩み、学校やバイトにも行けなくなった時期があったそうなのです。
具体的にどんなことがあったのでしょうか?
次で詳しく見ていきましょう。
山之内すずの衝撃過ぎるエピソード3選!
山之内すずさんの昔の衝撃なエピソード3選を見ていきます。
①家庭内のほぼ全員が精神病を患う
②アルバイトは家族を支える為
③高校を退学
①家庭内のほぼ全員が精神病を患う
小学生から中学2年生までは学校が好きで明るく元気な子だった山之内すずさん。
母子家庭で、母親と暮らしていたという山之内すずさんは、中学校3年生の頃からより家庭環境がつらくなり始めたようです。
母親と、山之内すずさんのお兄さんそしておばあちゃん、と自分以外の家族全員が精神病を抱えていたことを明かしています。
山之内さんはそのほか、「ちょっとおばあちゃんも不安定で。家族はすず以外、もう、『なんてこった』っていう状態」とも公表。
引用元:https://www.j-cast.com/2021/08/19418592.html
元気だったのは、山之内すずさんだけだったといい、自分が元気だと家族も元気になれるといったプレッシャーがあったとも話しています。
それでも、学校や友達には悩みを打ち明けることもできず、自分で自分をごまかして過ごしていたそうなのです。
山之内すずさんは、当時10代半ばで家族を支えるヤングケアラーのような状態だったのですね。
②アルバイトは家族を支える為
高校生からは、アルバイトをし家族を支えていたという山之内すずさん。
ファストフード店でほぼ毎日のようにアルバイトをしていたそうです。
「金銭的にもすずがバイトして家族を支えてメンタルのケアもして。家族に支えてもらうっていうよりも家族を支える側だから、ずっと」
引用元:https://www.j-cast.com/2021/08/19418592.html
洋服代や食事代、ダンススクールの費用など自分にかかる費用を自分で負担し更に、金銭的にも家族を支えていたと言います。
精神的なケアだけでなく金銭的なケアもされていたということでした。
高校生と言ってもまだ大人からのサポートが必要な多感な時期ではありますよね。
家族のケアをしていた山之内すずさんの負担はかなり大きかったのでないかと思います。
③高校を退学
山之内すずさんが高校2年の時に、地元の美容院でカットモデルを始め、インスタグラムなどで発信したことがきっかけでネットの番組への出演が決まったそうです。
しかしながら、それが学校の子たちから反感を買ってしまったといいます。
番組や個人のSNSアカウントに、私の個人情報や一緒に撮った写真もさらされてしまって。根も葉もない悪口もたくさん投稿されました。
引用元:https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/stop01/interview/20220908-OYT1T50267/
最終的に、このことが地元を離れる決断をするきっかけとなり、高校2年生で退学をすることになってしまいました。
高校退学後は自分で稼いで自立して生きていくための計画書というものを、実は、高校1年生の時から書き上げたんだとか。
その当時から、自立をする計画を立てていたんですね。
その自立計画に山之内すずさんの母親は受け止め、自立してから山之内すずさんは普通の生活を送れるようになったと言います。
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は、山之内すずさんに関してご紹介してまいりました。
明るく元気な山之内すずさんの知らない一面でしたね。
今後の活躍から目が離せません。
最後までお読みいただきありがとうございました★